日本フォーカシング協会

コーディネーターとしての自己紹介/白岩紘子

日本におけるフォーカシング小史の中の白岩紘子さんの自己紹介の全文です)

コーディネーターとしての自己紹介 白岩紘子 CC

 私の心理療法家としての背景には、Viktor.E.Franklの実存分析と友田不二夫から学んだCarl.R.Rogersのクライエント中心療法がある。友田不二夫は、クライエントの「今、ここに感じていること、そこが大事なのだ」と言い続けていた。1978年、ジェンドリンの講演で体験過程理論と実演に接し、友田が私たちに伝えようとしたことが、フェルトセンスという概念として明らかにされたということに感動した。私は、二人の先生からフェルトセンスという概念を手渡されたと感じた。
 早速、フォーカシングに関心のあるカウンセラー仲間とフォーカシングを体験し合った。その結果、ジェンドリンのフォーカシングの伝え方よりは、メアリー ヘンドリックスのフォーカサーへの関わり方の方がセラピー的であり、私たちの手法とあまり違いがないという結論に達した。
 1980年、巌谷平三、川村玲子、井上澄子、白岩紘子は、体験過程療法が実際に人々に意味をもたらすものなのかという試みのために、東京フォーカシング研究会を設立し、フォーカシングの研修会を行うようになった。月1回、8時間、と週一回4時間のグループワーク。その他に夏と冬、二泊三日の集中的な体験過程療法とフォーカシング指向心理療法を行ってきた。誰もが容易にフェルトセンスに触れられるように工夫された「からだほぐしと名付けているボディワーク」から始める導入のスタイルが確立した。その後にペアのフォーカシング体験をする。私が事務局だった10年間に、ニュースレターを発行し、東京フォーカシング研究会の10年の歩みを冊子にした。10年間の参加人数は1000人を超えていた。
 2005年に25年間の東京フォーカシング研究会の活動に終止符を打った。私たち4人は、ジェンドリンの論文を読みあい、様々な課題を抱えた多くのフォーカサーたちとのフォーカシング体験に没頭し、体験を共有し学びあってきた。その仲間は、今は皆さんすでにこの世に存在していない。

 一方、私個人では、1990年、人の援助を仕事にしている専門家にフォーカシングを伝えるため、また、リスナーの人たちの体験的な学びの場として、ホリスティック心理学研究所を立ち上げた。
 グループワークでは、フォーカシング指向心理療法と体験過程療法による心理療法の可能性を追求する実験的な場として、リスナーや臨床心理士5~7人と共に運営してきた。年2回の2泊3日のワークショップや週1回と毎月1回。グループには、フォーカシングによって自己の洞察を深めるために、或はフォーカシング的な傾聴を学ぶために、或は悩みを抱えている人たち、その他に私の個人の心理療法を経て、グループに移行した人たちが参加している。
 一般に病的状態と言われ診断名を持つ方々に対して、フォーカシング的知見の何をどのように応用可能なのか、まさに実験的な試みの場である。そしてリスナーは、リスニングの未熟さに直面させられる。例えば、妄想に対してフォーカシング的にどうかかわるのか、或は、他人の感情と一瞬で同一化し、パニックを起こす現象に対して、自他の区分けができるようになるために、主体感覚をいかに醸成するか、うつ状態の人へのフォーカシングのやり方、配慮など。
 もう一つの私の関心は、人はフェルトセンスを辿って、意識下の世界をどのように、どこまでたどることが可能なのか、ということだった。そして、その過程は、どのように個人に意味をもたらすものなのか、そして、出生時再体験やユングのたどったマンダラ体験など、いろいろな出会いを経験させていただいた。それらの体験はすべて私の心理療法に意味をもたらしたと思っている。

 このグループの特徴は、リスナーを含めて、すべての参加者は、課題の違いを超えて、フェルトセンスを手掛かりに自己を探求する対等の仲間である。からだほぐしというボディワークによって、共に地平上で対等であるという場が、参加者に与える心理的意味が大きいと思っている。
 この活動も27年になり、私の体力、気力も限界にきている。昨年から個人の心理治療やグループの活動の一部に終止符を打ち、活動を閉じる準備を徐々に進めている。
 この世界から去ろうとしている私には、自己紹介をする意味があるのかと思いながら、促されて書いてみたが、結局は40年間の簡単な振り返りになった。