日本フォーカシング協会

希望の物語〜フォーカシングの贈り物〜

このページでご紹介するのは、協会メンバーから寄せられた内なる旅のお話です。

これらは、日本フォーカシング協会発足20周年(2017年9月)を記念して企画された「希望の物語: フォーカシングの贈り物」に寄せられました。(初出:協会ニュースレター’The Focuser’s Focus’ Vol.20, No.4 冬号、2018年2月20日発行)

唯一無二の、とても個人的な、けれどいずれもフォーカシングからの贈り物で生まれた希望の物語をお届けいたします。

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「希望の物語: フォーカシングの贈り物」

北海道 S 

 あるジレンマで苦しんでいた私は、フォーカシングセッション中、いつの間にか握っていた左手に痺れを感じていることに気づきました。その痺れの感じとしばらく一緒にいると、握りコブシが、クロッカスの花のイメージへと変化し、徐々に手の痺れがとれていきました。けれども、次に両手を交差させて作った罰点のイメージが浮かび、「ダメってこと?」と一度はガックリきたのですが…。ばってん(九州弁)、その後にはシフトが起こりました。その時に浮かんだイメージをモチーフにして作った刺繍が写真の作品です。

クロスステッチ|希望の物語:フォーカシングの贈り物(北海道 S)

 輝く二つの線が交差したところから、星が次々と生まれて回っているイメージが浮かび、やがて線は、8の字を描くように変化していきました。そして、「自分の思いと、状況が一致しなかったとしても、一致しなかったことで生まれる、まだ知らない何か素晴らしいものがあるかもしれない…」という思いを抱き、ジーンと温かいものが体に伝わってくる体験をしました。

 その体験の後から、希望を失ってしまいそうな時には、このイメージを思い出すようにしています。私にとって、フォーシングからの貴重な贈り物となっていたので、この企画を機にクロスステッチで表現してみることにしました。これまでフォーカシングを通して関わってきた多くの方々への感謝の気持ちと、フォーカシングを愛好する人が増えていくことへの祈りを込めて。

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「希望の物語: フォーカシングの贈り物」

北海道 K 

 実家を解体前に、30年前に当時65歳の父が記した文章を、初めて読みました。


「職を退いて半年、毎日の新聞に、すみからすみまで目を通す余裕ができた。それにつけても気になることが続発するものだ。小、中学生の自殺まことに気の毒だ。そのたびに社会が、環境がと騒ぎ立てる。一体、いい世の中ってあっただろうか。趣こそ違うが、戦前、戦中だってまたしかり。(中略)
世に希望が持てない、という。しかし、希望という言葉を使う以上、何らかの望みは潜在しているはずだ。背伸びして遠くを見るのでなしに、むしろ現在の一刻一秒にこそ意味を見いだしてほしいものだ。頂上を目指す山登りはなかなか見えない。ただ足元だけに気をつけて、うつむきながら一歩一歩進むだけではないか」

 私は高校時代、人はみないつか死ぬなら、生きる意味があるのか、と漠然と悩み、精神分析のシリーズを読んでも答えは見つかりませんでした。大学で、フランクルの「夜と霧」にひかれ、極限状況での希望に思いをめぐらしました。社会人になって、苦しい状況を乗り越える糧になったのが、フォーカシングと、そこで出会った人たちでした。生前の父に悩みを相談すると、よく言われたのが「からだに聴いてみろ」。からだの知恵に触れることで人生に意味を見出すフォーカシングと父が私の中で重なります。

 札幌フォーカシングプロジェクトでは最近、フォーカシングとポジティブ心理学の交差を実習しました。「フォーカシングはみんなのもの」(創元社)の中でクラングスブルンが紹介しています。心配ごとや気がかりではなく、楽しかった出来事や満足したことなど自己肯定的な心の状態を十分味わう。回復力を取り戻す練習です。

 ポジティブ心理学の著書でフレドリクソンは「希望」を「絶望的な状況の中で、最悪の事態を恐れながら、より良い状況を望む感情」だと書いています。「その核心には、状況は変わるという信念がある」と。生活をゆっくりペースにして、その時の出来事や周りの状況に心を集中する勧めは、フォーカシングの贈り物と共通しています。

 昨今、憲法9条改正の動きや、北朝鮮のミサイル発射、米国大統領の脅しなど、再び戦争に向かっているという声を多く聞きます。どんなにつらく、厳しい状況にあっても、絶望したり、虚無的になったりせず、からだ全体を感じる時間をとり、悪の中に良さを見つけ、良いことは存分に味わって、創造的に生きていきたいと思います。

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「希望の物語: フォーカシングの贈り物」

なごやフォーカサーズ 長谷川晃 

 1990年、20歳の時に、生体腎移植を受けてから、私の心の旅が始まりました。
人工的ではあるが健康という活力を”感じ”始め、朧げな生と意識に変化がもたらされからです。
ただ、心のうちは裏腹で、それまでの秩序が崩壊し混乱と苦しみの始まりでもありました。
想像してみてください、健やかに生きることから本能的に目を背ける習慣だった心に、からだの隅々から、あるゆる感覚器から「生きろ、動け」という刺激が送り込まれてくる状態を。
響いてくる感受性とつきまとう無力感に、さまざま思いや衝動に駆られ、焦燥と攻撃性を繰り返し、パニックになっていたのだ、と今は思いかえすことができます。

 そんな折に、教育カウンセリングを行っていた中学時代の恩師と再び出会い、彼の死に際し影響を受け、カウンセリングという分野を知り、独学しつつ、救いを見出していました。こころの知識を増やしていくことで「生きろ、動け」という”からだ”からの声を遮断して、心の平安を得ていたのです。

 カウンセリングの学習の延長線上で私は「フォーカシング」と出会いました。
その源流と理論がカウンセリングではとても根本的な要素で、これは学ぶべきものと直感しました。ただ、演習で教えられる”からだ”への態度、”あるがまま”を認めること等…存在にその信頼をもつことに素直にはなれず、何をどうしていいのか分からず、もがき苦しむばかり。
嫌っていた自分の生にどうして心を開くことが出来るでしょうか?目もくらむ吐き気が伴うぐらい、「否定」が大きな背を向けて私を圧倒し、打ちのめされたセッションもありました。
それでも直感を頼りに、安全を図る努力をしながら体験を継続しました。幾重にもなり、多くがうごめく「否定」に丁寧に耳を傾けてみると、それぞれが私の中に「生きろ!」と叫ぶ”いのちの力”なのだと徐々に感じられる経験をしていきました。
フォーカシングは私に強力で頑固な「否定」と過ごす時間(機会)を与えてくれたのです。
その”いのちの力”が私にとってはすべての原動力で必要不可欠だと確信させてくれたのです。
みじめな憎むべきだった「私の生」と和解=「私という生」へ本来的な理解の旅路でした。。
この理解から、私の人生が本当に最初の一歩を踏み出していったように感じています。

 いまここにあることに素直に、目を背けず、心を開き、耳を傾ける。その声に本来の意味を見出していく、道具も知識も要らないシンプルな行為。でも行うは難しく、得難い態度。フォーカシングは具体的に、より実際的にその姿勢を思いかえさせてくれます。 そして「私が生きる意味」を見つけた旅路を支えてくれた存在なのです。

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「希望の物語: フォーカシングの贈り物」

東京都 大田民雄 

 フォーカシングが希望の心への道を進むための確かな一歩となれば最高です。

 私はフォーカシングが希望の心へと導くことのできることに憧れています。
憧れるということはフォーカシングがその様な役割を果たせることを強く望むけれど、希望の心を抱くことをフォーカシングによって実現することは難しいということです。希望の心は宗教や信仰が目指す究極的な目的です。その希望の心を目指してのフォーカシングができることは、心の流れの過程に目を向け続け、また、その過程の中に隠されている希望の心を見つけ出すことでしょう。

 それがフォーカシングによって出来れば、素晴らしいことであると思うのです。それは人間の努力では無理ですし、神の業だけが可能にすると思われる程に私には難しいことでした。まさに、言うは易し、行うは難し、でした。特に、日本では「希望の党」とか「希望をかなえる」などと言って、希望を持つことは容易であるという印象を与えます。しかし、それは簡単なことではありません。

 私は何度も臨床家やフォーカシングのパートナーとして最善を尽くしましたが駄目でした。ジェンドリン氏は、フォーカシングを行うことによって人々の心の中に希望を見つけ出すことを助けるためには、”FOCUSING” (EVEREST HOUSE, 1978, 70p-80p)の中で述べていることの大切さを明らかにしています。それらはフォーカシングの基礎中の基礎ですが、この土台、自分への姿勢、が無ければ、希望の心を見つけ出すことはできないと私は確信していますので、改めて述べさせて下さい。彼は次のよう言います、「自分の心の中の土台を綺麗にして(clear a space)、また、自分と、仲良く(friendly)、柔和に(gently)、気楽に(comfortably)、健全に(soundly)、また、穏やかに(calmly)付き合う」ということを強調します。

 ところが、臨床心理者やフォーカシングのリーダさんたちがいつも経験されるように、多くの人々は自分を非難し、自分を好意的に見る人々は少ないのが事実でしょう。これらの人々に希望の心を抱かせることを可能にするのは、ジェンドリン氏によるフォーカシングだけであると私は思いました。

 フォーカシングを希望の心を抱くための一助とするためには、ジェンドリン氏が主張することを、正確に、注意深く、また、丁寧に実行しなければならないことをつくづく学びました。私が述べていることはフォーカシングの基礎に戻ろうと叫んでいるだけですが、自分や他の人々のために希望の心を抱くようにするためにはフォーカシングの基礎的な姿勢に戻ることが最も重要であると思うからです。

 私たちのすべてがフォーカシングを有難い贈り物とすることができ、同時に、あなたを光で照らす希望となりますように!

 それにしても、フォーカシング技法やそれを開発したジェンドリン氏と巡り会えたことの恵みを神に感謝せざるを得ません。

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「不安とともに生きるという希望」

福岡大学人文学部 田村隆一 

 私は小学校のころ、読書感想文というものがとても苦手でした。本を読むことはできるのですが、感想を聞かれても何も感じなかったのです。なぜ他の人たちは本や映画を見て何かが感じられるのだろうと不思議でした。詩や歌の歌詞は何か言葉を適当に並べているんだろうと信じていました。人の心を想像するのが苦手な子どもでした。自分はなんと鈍感な人間なんだろうかと思っていました。

 それでは何も感じなかったのかといわれると、何か圧倒的な力で迫ってくるような、からだ全体を覆いつくすような、いやむしろ世界全体を包んでいるかのような重い感覚でした。それは、何かを読んだり、見たりという出来事によって生まれるというより、いつもそこにあるものでした。ただその感覚は、あまりにいつも同じように空気のように存在しているので、それが存在していると感じることも難しかったのだと思います。

 そんな私がフォーカシングに出会ったのは、偶然でした。小学生の頃は催眠に興味を持ち、友達に催眠をかけて遊んでいました。催眠の本を読む中で、フロイトの精神分析に触れて、中学生になったころから自律訓練法に、高校生になってからはジェイコブソンのリラクゼーションなどをやっていました。臨床心理学を学ぼうと大学に入ったのですが、その頃はロジャーズの名前すら知らず、カウンセリングという言葉さえ聞いたことがありませんでした。大学で毎週行われていたある研究会に参加してみようと思って行ったところ、たまたまその研究会は休みでした。同じフロアで別の研究会が行われていたので、せっかく来たのだからと参加しました。それが村山正治先生が主宰されていた「リサーチ研」でした。同じ時期に、間違えて登録してしまった授業が村山先生のゼミでした。ここで私はフォーカシングと出会いました。

 フォーカシングを学び始めてからも、何も感じないのでフェルトセンスは何なのかよくわからないし、ジェンドリンの理論は私には難解すぎでした。私はカウンセリングには向いていないんだろうと本気で思っていました。ただ、いろいろなことに手を出す性格だったので、フォーカシングの体験をしたり、体験過程スケールの評定訓練を受けたりしていました。

 あるカウンセリング関係の実習の後、胸の中がぐるぐるかき回され続けるような強烈な感覚に襲われました。丸一日くらい続いたその得体の知れない感覚は、その後も折に触れてその感覚が蘇ってきました。なんとも居心地の悪い、気持ちの悪い感覚でしたが、それを言葉にすることは困難でした。何が起こったのか、この感覚が何を意味するのか、どういう気持ちなのかわからないまま時間が過ぎました。

 フォーカシングの体験の中で、具体的な何かに「ついての」感覚とか、「からだ」の感覚というものは、なかなか私には感じられませんでした。クリアリング・ア・スペースも、私にとっては意味を感じられませんでした。そこにあるのは、子どものころから感じていた、あの重い空気のような圧倒的な感覚でした。「からだ」の感じというより、重い雰囲気の中に自分がいるという気分でした。ですから、何かの感じがどこかに「ある」とは思えなかったのです。

 ある時、フォーカシングの中で、これまで私が感じていた重い空気のような感じが、「ある」のだとやっと気づきました。それは、自分の中にある大きな不安なのだと。それはずっと私を苦しめてきていたものなので、何とかそれから距離を取ろうとしましたが、あまりに自分と一体化していて距離をとることは不可能でした。しかたなく、その感覚の中に身を置いたままにしていると、この感覚がなくなるということは、自分が自分でなくなってしまうのだと気づきました。私をずっと苦しめていた感覚こそが、自分が自分である証のようでした。この重苦しい不快で不安な気持ちこそが自分らしさであって、この不安な重苦しさは自分の中核にある最も大事な部分になったのです。

 私の感じていたものは、フォーカシングではバックグラウンド・フィーリング(背景感覚)と呼ばれるものなのでしょう。しかしその言葉は私にとっては少しずれたものでした。その感覚から距離をとる必要もないし、不安で重苦しい不快な感覚が、変わらずにそのままで存在し続けてよいし、いや消えてもらっては困る大事なものになったということです。この体験が自分の中で落ち着くには、何年もかかりました。

 この体験のころから、私の中でフォーカシングは、生活すること、生きることと区別できない一体のものになっていったように思います。私にとっては、不安で重苦しい気分の中で生きることそのものが、かけがえのない価値を持つものになったという意味で、大きな希望なんだろうなと思います。

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「小さな死と再生の物語」

埼玉県 みかん 

 私は何か困っているときは勿論のこと、そうでないときも、よくフォーカシングをしていて、それは生活の一部になっている。この時間は私にとって重要で、自分が今日という1日を生きる意味はフォーカシングをする30分間に凝縮されていると思うこともある。だから自分が今までフォーカシングから受けてきた恩恵は数限りなくあるはずだが、それを具体的に挙げるのは意外にも難しい。ほとんどが自分の一部になり、意識されなくなっているせいだろう。ここでは、つい最近の2週間あまりで幾度となくフォーカシングを繰り返しながら体験したことを、記憶を頼りに再現しダイジェストで書き記してみる。< >内はフォーカシングの過程で浮かんだイメージの記述である。そのプロセスをありのままに記述することを重視したため、冗長で読みにくい文章であるのをご容赦いただきたい。

 ある日、仕事上の関係部署から連絡を受けて、重要な報告文書の提出をすっかり失念していたことに気が付いた。締め切りの期日はすでに2ヶ月も過ぎていた。あらためてその報告文書を提出するには4人の上司に事情を説明して承認をもらわなくてはならないが、中には部下たちから恐れられている人もいて、私には途方もなく困難なことに思われた。ミスがわかったら早急に報告・相談するのがトラブル対処の原則であり、どのように行動するべきか十分にわかっているのだが 、気持ちはどうにも言うことを聞いてくれない。怒られることを恐れ、うまく誤魔化してしまいたい気持ちの方が強い。でもその事が明るみに出たらさらに大きな問題になるのは避けられないだろう。仕事は順調に進んでいるかに見えたが、まるでピットフォールに落ちてしまったかのように、どうにも身動きが取れなくなり、事態を報告しに行けないまま日が経っていった。

 家に帰ってから寝室で1人フォーカシングをしてみたところ、自分のミスを報告にいくことを想像すると、胸に苦しさがあり、お腹には押されるような感じがある。そこは自分が今まで築いてきた信用や評価を失うのではないかという怖さを感じており、報告にいくことを妨げているようだ。次第に、自分の父性的な権威への恐れの強さが影響していることがわかってくる。また、今までにも似たようなことが幾度かあり、自分のミスを正直に言うのが難しかったことが思い出されて、これが自分の長年積み残した課題であることがはっきりしてきた。しばらくすると、こんな単純なミスをした自分を責める気持ちに代わって「この部分は癒される必要がある」という言葉が浮かぶ。その言葉を何度も響かせ、自分を労わると、不思議と痛みも和らいだ。「完全でない、誤りやすい自分、そのままの自分を見せてもよい。」浮かんだ言葉はありふれていたが、その意味が今はリアルに感じられる。その言葉を何度も噛みしめると、大きく息をつくとともにからだの緊張が抜けていった。<自分の底には不安を凝縮したような、どす黒い液体が溜まっていたが、まるで器の底が抜けたように流れ出ていく。そして自分に大きな空洞が開く。自分が空洞になって、向こうの方から薄い光が差してくる>そして「自分は守られている」そんな感覚に包まれていた。

 失敗を責められる怖さは減り、今度は言えそうな気持になって職場に向かったが、いざ言おうとすると今度は、気づいたミスをすぐに報告しなかったこと、あるべき初動の対処が出来なかったことをとがめられるという別の怖さが出てきた。何とかうまく言い訳できないものかなどと考えているうちに、結局は言い出せないまま家に帰ることになった。再び寝室で1人になって、お腹に感じる身動き取れない感覚を見つけ、そのさらに奥深くを感じ取ろうとする。ふと、自分の体面を保ちたい気持ちこそが自分を苦しめ、身動き取れなくてさせていることに思いが至る。「自分が守ろうとしている自分には実体がない」という言葉とともに、とてつもなく大きな気づきの瞬間が訪れ、時間も、自分の意識も止まったような感覚になる。「もう自分を守る必要がない」浮かんできたその言葉を何度も響かせていると<長年住まった自分という巨大なコンクリートの建物が、いま轟音とともに崩れていく>そして気付きの連鎖が洪水のように押し寄せると、全身から力が抜け、自分の姿勢を維持することもできなくなっていた。
<目の前に自分の遺体が横たわり、自分の中に青空が広がる、いや自分は青空になっている>

 このようなフォーカシングを何度か繰り返す中で、恐れは消えていった。何日目かのこと、その日の朝も私は通勤電車でフォーカシングをし、<自分の中に鬼神が生まれる>「今日こそはこの苦しみを終わらせる」という決意が芽生えた。職場に着くと上司のもとへ向かい、これまでの経緯を説明して承認をもらい、報告文書を提出することができた。拍子抜けする位に誰からもとがめられることはなかった。

 この間のことは、周りの人からは生活のありふれた1コマに見えたことだろう。私にとっては、自分のミスを報告することへの恐さがかなり軽減されたのみならず、上司との関わりが楽になり、父に対する気持ちが 変化し、将来の新たな展望も見えてくるなど、ここに書いていないものも含めて、この数日間のことは大きな意味を持っている。この数日間のプロセスがどのようなものだったかということも、やがて私は忘れ去っていくだろうが、得られた様々な気づきが私という人格の一部となって生き続けるに違いない。(ペンネームながら自分の失敗談をニュースレターに投稿できるのは、そのおかげだ。)不安に苛まれた日々も、自分に大切なことを気づかせるために、訪れるべくして訪れた贈り物だったのだと今は思える。人は経験を通して成長するものだとよく言われるが、フォーカシングはそのための気づきをもたらし、容易でないそのプロセスを促進する触媒のようなものだと思う。だからフォーカシングからの最大の贈り物は、今日を生きる自分自身であろう。小さな死と再生を繰り返し、少しずつ形を変えた自分が今日を生きている。

 最後にもう1つ付け加えるならば、この文章を書いている今も私は「あのときのプロセスはどんなだったろう」「あの出来事は私にどんな意味があったのだろう」「この言葉でうまく表現できているだろうか」と、あの体験についての直接感じられる、言葉になる以前の源にアクセスし問いかけることを何度も繰り返している。自分が書いているというより、つむぎ出される言葉を書き留めている感覚に近い。その意味で、今回の体験をこの小編にまとめることができたのも、フォーカシングの恩恵と言えそうだ。

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